こんにちは!シロイヌです。
今回は、「相手は自分の鏡?」として、
- それってどういうこと?
- それが嫌な相手だったとしたら?
- その対処法は?
という点について、書いて行こうと思います!
「相手は自分の鏡」なんて言われがあります。
「相手は自分を映し出す鏡だ」という意味ですね。
相手が自分を映し出す鏡かどうかは、明確ではないですが、自分と出会う相手は、何かしら自分とリンクしていることは間違いないでしょう。
仏教的に言えば「因縁果報」。
因があり、縁がある。
因がなければ、縁はない。
どんなに出会いたい人がいたとしても、自分にその「因」がなければ、絶対に出会えません。
つまりそれは、自分とは「縁のない人」ですね。
私は「因縁果報」を小さい頃からず〜〜〜っと聞かされ続けていたのですが、、、これってちょっと戒め的発想に感じて、好きではありません(汗)
もし嫌な人と出会しても、「相手が自分の鏡」だとしたら、自分の「因」、つまり自分のせいになっちゃいますよね!?(→まあ、当たっているんでしょうけど)
それは健在意識で望んでいるものではもちろん無いです。
誰しも嫌な人になんて会いたくない、ですよね?
だけれども、自分が出会いたくない人と出くわすことは、現実にあります。
「相手は自分の鏡?」と考えたとしたら、その嫌な相手とどう向き合えば良いでしょうか?
友人が、「職場に嫌な人がいる」という話をしていました。
彼女は果敢にも、その嫌な相手を受け入れたい様子。
そんな、「修行」ともいうべきことに挑むのだそう。
神・仏の境地を目指しているとも言えるでしょう。荘厳たる道のり。
彼女が素晴らしいところは、できるかできないかわからないけど、そこに目指してみるという「使命感」です。
もし私だとしたら、、、
おそらく全力で相手をスルーする(汗)
相手が自分の鏡のごとく、上で書いたように、相手を引き寄せる自分の「因」があったとして、そこに「縁」あり、結「果」出会う。そんな法則通りの「報」が現れます。
これが起こっているかもしれない。
一方で自分自身を作るのは、「周り」でもあると思うんです。
「朱に交われば赤くなる」といわれるように、「自分ってなんだろう」と考えると、周りによって作られている可能性があると思うんです。
相手が好き、嫌いに関わらず、一緒にいる時間が長い人の影響は、少なからず受けるものです。
無意識のうちに、一緒にいる相手に対して、「ミラーニューロン」的作業してしまい、自分も相手と同じようになる可能性だってありますよね。
逆にいうと、周りを意図的に変えれば、自分を自動的に変えられる、ということ。
変えるのは相手か。それとも自分か。
そんなふうに考えると、わざわざ自分の足を引くような人と一緒にいるよりも、自分を高められるような相手と一緒にいる方が、意識的にも重要と思ってしまいます。
ただ、避けたくても、避けられない相手もいますよね。
そんな時はどうすれば良いでしょうか?
避けるべき相手にできることは、色々ありますね。
マントラを唱えるなどで結界を張る、とか(笑)
またまた仏教的な解決方法があるとしたら。。。
嫌な相手は「自分の鏡」として、「相手は自分に何を教えてくれるんだろう?」
と、「相手から学ぶ姿勢をとる」ではないでしょうか?
どんな相手にも学ぶべきところはありますからね。
これができると、鬼に金棒でしょう!それこそ神仏に一歩近づけるかも?
またこれができると、そういった「嫌な人」と出くわさなくなるようです。
もしくは、「嫌な相手」との関係性が変わるなど、何かしらの変化が起こる。
これも仏教的に言えば、「因が変わるから」ですね。
おそらく自分の、相手への見方が変わることで、今まで相手に、見ていたところが見えなくなり、逆に相手の、見えていなかったところが見えるようになるからでしょう。
さて友人は、嫌な相手から何かを学ぶのでしょうか?
友人の勇気ある行動を激励しつつ、私は私で、自分より一歩先の自分を目指し、精進していこうと思う今日この頃です!
【相手は自分の鏡?】嫌な相手となぜ出会う?鬼に金棒な対処法とは?、いかがでしたか?
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました!