森のようちえんの後悔は沢山ある!?転園先と比べて気づいた「難点」

シロイヌ

こんにちは!

森のようちえんの後悔があるか…?

はい!後悔あります!(汗)

森のようちえんには、素朴な育児を求めてしばらく通いました。

求めていた素朴な育児

  • 本物に触れ合える
  • 根っこから育む
  • 自然が教えてくれる

けれども決して森のようちえんが「唯一」とか「最善」ではなかったというのが後から感じたことで、後悔として残ることはあります。

目次

なぜ森のようちえんに通った?

「森のようちえんって何?」って思う方もいるかもしれない。

簡単に言ったら野外保育です。

園舎内ではなく、毎日がアウトドア的な保育。名前のごとく園児たちの活動場所は「森」

森のようちえんの発祥はデンマークだそうで、一人のお母さんの「(自分の)子どもを森の中で保育したい」という思いから始まったのだそう。

本家デンマークでは結構盛んのようですが、近年日本でも全国各地でちらほらと見られるようになってきました。

その森のようちえん(ある意味最先端でまだ実験段階みたいな保育現場)に、子どもを入園させることを決めたんです。

森のようちえんを選んだ理由は色々あります。

1番の理由は、子どもに自由を与えたかったから。

行事に振り回されることなく、「自由に自然の中で遊ベる環境」にいさせたかったんです。

また軽度ではありましたがわが子はアレルギーの懸念があり、より素朴なお昼を食べさせてあげたい気持ちがありました。

けれども当時住んでいた場所では、この幼稚園の他に選択肢がなかったことから、この幼稚園をある意味選ばざるおえなかったというのが大きな理由です。

(その他色々な事情がありますが、長くなるので割愛)

通っていた森のようちえんの様子

通っていた「森のようちえん」は、幼稚園創設者の園長先生が一人で運営しているところでした。

少人数制の縦割り保育です。全体で20人ちょっとだったかな?

保育の有資格者は、その先生ともう一人のサポート役の先生。

あと日毎に変わりますが、数人のサポートスタッフが入ります。この方達の中には、卒園児のお母さんもいました。

サポートスタッフの方達は保育の資格や経験などはなく、園長先生の考えに感銘を受けてサポートのお仕事をされている立場でした。

保育は「シュタイナー教育」の要素をピックアップして保育の中に取り入れていたり、子どもとの関わりに「アドラー心理学」のコミュニケーションツールが用いられていました。

一般的な幼稚園と比べると、際立った特色にも思えます。

森のようちえんでの一日のスケジュールはこう。

朝幼稚園に行き、持ってきた野菜(味噌汁用)を切る。

そのあとは朝の会まで自由時間。

朝の会では出席などをとって、さっそく森の探検へ。

お昼は持ってきたお弁当と、スタッフ作成の味噌汁をいただく。

食後は自由時間で、その後帰りの会。絵本を読んで降園時間です。

基本は野外で散策したり、木登りやターザンロープで遊んだり、草花を積んでおままごとしたり、虫を捕まえたり、焚き火をしたり等々、発想を膨らませてなんでもします。

屋根がある建物もありましたので、その中で本を読んだり、おもちゃで遊んでみたり、「にじみ絵」をしてみたりと、そんな感じ。

四季を通して昔の人の知恵、 日本の文化にもふれます。例えば笹を取ってきてちまきを作ったり、染め物をしてみたり。

たまに歌を歌ったり、ベルなどの楽器を使ってみたりといった、一般的な幼稚園がしていることも不定期ですがします。

想像するような「森のようちえん」そのままかもしれない。

ここまで話すと、「一体何に後悔なんてあるの?」って思いますよね。

そうですよね、保育自体は素敵だと思います。

森のようちえんの後悔

ここから森の幼稚園の後悔をいくつかあげていきます。

1. 森は幼児にとって広すぎる?

森のようちえんの後悔ポイントとして、そもそも森は幼児にとって広すぎるという観点に気付かされました。

正しい・正しくないというより、そういう観点もあるというお話です。

森のようちえんの特色から説明します。

自然や本物に触れ合うとか、自由に体を思いっきり使うとか、反映的な聞き方や勇気づけの言葉がけといったアドラー心理学的な保育の関わりとか、他にはない素敵な要素はもちろんあります。

このように人間の原点に帰るような保育は学べることは色々あるのかもしれませんが、そこには難点もあるということ。

例えば保育場所の広い森。

「子どもたちが広いのっぱらにポンと置かれたら、どんな気持ちになるか?」という疑問。

後に知ったことなんですが、本来幼児はそんなにだだっ広い場所が必要ではないんですよね。

これは転園先のシュタイナー幼稚園の保育者から聞いた話です。

保育の勉強から学んだことや、日々子どもと触れ合う中で気づいたことだそうですが、そもそも幼児はそんなに広い場所が必要ではないということ。

広い場所に置かれることで、不安がったり、萎縮したりする子どもを見たのだそう。

幼児が好きなのは、いつもの「全てが見渡せる場所」。少し手を伸ばしたところにお友達がいて、先生がいてって場所です。

広い部屋にいたとしても、隅っこで遊ぶのが好きな子どもたちは本来、狭くて、暗くて、安心できる場所、そして自分の好きなことができるスペースがあれば、それで満たされるとのことです。

「そもそも幼児の視野の広がりも成長によってだんだん広がるものであり、幼児期はそんなに広い場所は必要ではないのですよ。」

とのお話でした。

その点においては、「毎日広い森に出向く必要はもしかしたらなかったのではないか?」と後悔してみたり(汗)

2. 園長の一存に不安を感じる

森のようちえんの後悔ポイントとして、園長の一存に不安を感じたことがあります。

転園先の幼稚園では、定期的に先生たちが保育の勉強会に出席していました。

保育の指針となるものを学んでいたんじゃないかと思います。

というのも、園の先生は何か問題があると迷うことなく答えが返ってきて、それはどの先生も同じ方針だったからです。

反面、私が通っていた森のようちえんでは個人経営だったことから、全ては園長先生の一存でした。

有資格者は園長先生と、パートとして入っていた先生の二人だけ。残りの先生は先生ではなく、見守りスタッフでした。

おそらく保育資格はない方ばかりだったんじゃないかな?

保育資格がない方は、園長先生の方針をそのまま見様見真似でされていたようですが、今思えばそれはとても怖いことのようにも感じます。

子どもたちの様々な場面において、学びや保育の経験からくる判断ではなく、個人の価値観によって判断するかもしれないという点においてです。

後悔ポイントはここ。

そもそも「シュタイナー教育を取り入れている」のは、シュタイナーと言っていいのか?という疑問も。

「なんちゃってシュタイナー」の幼稚園は多く存在しているように見えます。

にじみ絵をしているからシュタイナーとか、ウォルドルフ人形持たせてるからシュタイナーではないですよね。

本当にシュタイナー教育を実践されている保育者は、学びを止めず、常に勉強会の場に足を運んでいますし、

シュタイナー教育でなくても、何か確立された保育の学びの場があったり、何事にも保育者の間で意見を交わしたり、議論されたりということであれば良いのです。

だけれども無認可であり、社会との接点がある意味ない中で、園長一人の一存で全て決まるのが、最終的に私は不安に感じました。

それがいい点もあるかもしれませんが、いいことでも、悪いことでも、誰かの鶴の一声で決まるのって、方向性が間違えるととんでもないことになるかもしれない。

そんなふうに思ったわけです。その場に入ってみなければわからなかったことですが、これも後悔ポイントの一つです。

3. 蚊に刺され放題

これはどんな森かにもよるかもしれませんが、森は基本、蚊がたくさん出ます。

蚊に刺されやすいのは「血が汚れているから」などと言われていますが、そればかりが理由ではなく、体質によりどうしても刺されやすい人はいます。

わが子は蚊に刺されやすい上に、化膿しやすかった。

動物性のアレルギーを少し持っているので、そういったことが要因だったようです。

結果的に「とびひ」の一歩手前まで来て、しばらく幼稚園をお休みしました。

虫除けにアロマスプレーを園の子ども達・そして大人達も日々使っていましたが、あれは持続性は弱く、しょっちゅうスプレーしないといけないようで。。

そして効果はさほど期待できません。やはり山の蚊は強いし多い!

一方で何もしなくてもほとんど刺されない子もいて、やはり人によるようです。

日々痒いって、子どもにとってすごいストレスですよね(汗)

そういったことも後悔の一つであり、入園前に何度か通い、その場の雰囲気をもっと確認しておけば良かったと思いました。

4. 保護者が揉める

森のようちえんの後悔ポイントは保護者が揉めること。

これはもしかしたら森のようちえん「あるある」かもしれない。

森のようちえんは保護者参加型で、いろんな場面でお母さんたちの手が必要です。

お母さんの協力ありきのようちえんと思っておいた方がいいかもしれない。「子どもをみんなで育てよう」的趣旨なんですよね。

ということでお母さんが保育に参加する場面は多いです。

朝見送る時に子どもが離れたがらなければ、しばらくその場に一緒にいます。

なんだかんだすぐにお昼近くなったりで、一日中一緒に付き添っているお母さんもいました。

人との距離がまだわからない子ども達の中には、友達に手を出す子がいます(わが子もそうでしたが)。

もし自分の子どもが目の前で手を出されたら…?その場にいるお母さんは面白くないですよね。

そういう場面を日頃から目にする機会が多いことで、手を出す側と、出される側のお母さんで揉めるというのは、実は他の森のようちえん出身者数人から聞きました。

ということで「あるある」のようです。

わが子は手を出す側でしたので、親である私は被害者の子のお母さんから相当嫌われていました。

解決に努力しましたが、自体は悪化するばかりで、幼稚園の送り迎えがこんなにもキツイものかと思ったほどです。

ちなみに森のようちえんでは、そういった話は相談には乗ってくれましたが、最終的には「直接親同士で」というスタンスでした。

何せ園長先生の単独保育みたいなものですから、保護者の教養とか学びとか、そういうことまで手がまわならいようだったんですよね。

わが家は森のようちえんから転園しましたが、転園先の一般的な(とはいえシュタイナー教育ですが)幼稚園に通わせたらあまりにも楽だった。。

転園先は人数もそこそこいる幼稚園で、男の子も多くいたことで、手を出す・出されるは日常茶飯事でしたし、みんなお互い様という雰囲気。

わが子も日々傷を作って帰ってきました。

一度なんてビー玉ほどのたんこぶを作って帰ってきたこともありましたが、わが子は気にしないタイプでしたので(笑)

幼稚園側の配慮もありました。

「子どもがいうことにあまり鵜呑みをせず、何か気になることがあれば幼稚園に連絡下さい」

と園から言われていたので、森のようちえんの時の様に、親が相手の親に一方的に謝りに行くとか、そういったことはありませんでした。

また転園先の幼稚園は、こう言っていました。

「保育者は子どもを保育しているようで、実は1番の目的はお母さんたちの学びをお手伝いすることなんですよ」

このように同じ幼稚園でも違うものです。

これは森のようちえんによっても異なると思いますので、よくよく園がどのような考えかを確認してみると後悔ないと思います。

5. 場所や保育の質は重要ではない?

森のようちえんの後悔ポイントですが、結局のところ、場所や保育の内容はそこまで重要ではないと行きつきました。

当時は質にばかり気が入っていたことに後悔です(汗)

もちろん、子どもが行事に振り回されたり、小学校に上がる前の予備校的な幼稚園は私は個人的には好きではありません。

とはいえ、それら全てもそこまで重要ではないということ。

重要なのは、子ども達がいかにその場で愛を受けられるかだと思うんです(←クサイですが)。

どんなに恵まれば環境で育ち、どんなに素晴らしい保育を受けていたとしても、そこに愛情がなければ心が寂しいもの。

私は森のようちえんにいた時、正直な話、その場の人間の温かさはあまり感じませんでした。

子ども達も先生からハグなどのスキンシップはなかったように思います。

自立していると言っちゃ、そうかもしれませんが…

幼稚園側も含め、周りの保護者や子どもの雰囲気って一番大切ではないでしょうか?

幼稚園をいくつか回った私は、幼稚園にいる子どもを見た時に、その幼稚園がどんな在り方かが見える気がしたんです。

あくまで私の偏見にはなってしまいますが、さまざまな園の様子を見た中でのいうと、、

森のようちえんの子ども達は、野生化していました。言葉遣いもキツく、「自分が一番」と競り合う雰囲気です。

年長さんですらつばの飛ばし合いをしていました。

自分たちの秩序の中での野外保育ですし、誰も叱る人がいないのであれば当然かもしれません。

実は森のようちえんの園児たちは、小学校に上がった時の評判が皆とても悪かったのを後から聞きました。

子どもに罪はありませんが、社会の目はなかなか厳しいものです。

「森のお母さん」と呼ばれていた子どもを森のようちえんに通わせるお母さんたちも、外からはかなり異質に見られていました。

森のお母さんの中には「ザ・森のお母さん」的な、それこそ「森のように寛容」な方はいて、たくさんの学びや、素敵な時間を共有してくれました。

反面、中には人の悪口ばかり言っていたり、ママ友を仲間はずれにするのを生き甲斐にしているようなお母さんもごくわずかいました(汗)

同じ森好きとはいえ、今は保護者も多様化しています。

そんなこんなで、居心地は悪かった。。これは私一人が言っているのではなく、園全体として雰囲気は悪いと皆感じていたことのようです。

おそらく園の体験など何回か通うことでわかると思うので、そういった空気感をチェックしておくと、私のように後悔なく済むと思います。

まとめ

森のようちえんの後悔話は実はまだまだ書ききれていません。

けれども、キリがないのでこの辺でまとめさせていただきます。

これはあくまで私が見て感じたことであり、人によっては全く別の受け取り方はあると思います!

一つの見方としてご参考になれば嬉しいです。

また、森のようちえん全てに当てはまる話では決してないと思っています。

私はその後、森のようちえんを退園することになりました。

嫌な思いもたくさんしたけれど、経験ができたことにおいては後悔はありません。

子ども本人も楽しかったようです!

きっと子どもにとってもたくさんの思い出や学びはあったと思います。

経験してみてわかることですね。


森のようちえんの後悔は沢山ある!?転園先と比べて気づいた「難点」、いかがでしたか?

最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました!

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