今回は「与える人」であるわが母が、自分がどん底な時も人に「与える」ことをし尽くし、最終的には誰よりも幸せになったという実話を話そうと思います!
どん底だった母
母はアル中で精神疾患を患っていた父の闘病生活を支え、同時に幼い3人の子供の女手一つで育てました。
専業主婦だった母が父の入院後、家計を支えるために40過ぎて就いた仕事は、介護の仕事でした。
給与は低い方ですね。それでいて汚く、ハード。
そのような仕事だったにも関わらず、最終的には家を購入。
もともと住んでいた分譲マンションと、戸建て一軒を所有することになりました。
資産ゼロから富(と言っていいかわかりませんが、二つ家を所有している意味だけで)生み出した、とっても活力のある母なんです!
そんな母が欠かさなかったのは、「人に与えること」でした。
「与える人」「奪う人」
世の中の人間は二通り。「与える人」か「奪う人」。
そんな話を、本田健さん著書の『大富豪からの手紙』で知りました。
「与える人」、その逆の「奪う人」とはどんな人か?本を参考にイメージして書き出してみます。
「与える人」とは?
- 自分が持っているものを人に差し出せる
- 愛情や安心感、優しさや明るさ、笑顔や知恵、知識などを与える
- 関わる人々を幸せに、もしくは楽にする
- 人に愛され、人が集まる
「奪う人」とは?
- 与えられるのを待っている
- 人の物、時間、エネルギーなどを奪う
- ケチで強欲。人に施すことを知らない。
- 人が寄り付かない
こんなイメージでしょうか。極端ですが、「日本昔ばなし」の登場人物みたいですよね(笑)
自分はうっかり「奪う人」になっていないか?なんて振り返ってみたり(汗)できれば、「与える人」になりたいものです。
母は「与える人」
もともと母は大乗仏教の信仰者で、人に与えることが自分や自分の子孫の幸せになると100%信じているんです!家庭を投げ打ってまでも人に与え、尽くしていました。
それこそ時間も、お金も、です。
母は今世を「人に与える」ために生きることを決めたみたい?
母がしていること
母がしている「人に与える」ことを具体的にあげるとこんな感じ。
- 困っている人がいれば飛んで行く
- 困っている人がいればいくらでも話を聞いてあげる
- 人と会う際必ず何か(手料理など)を持って行く
- 自分の時間も労力も惜しまず、人に尽くす
「ひと様」が口癖です。常にひと様優先!
娘の思い
人に施すことのは結構なんですが、娘としては時に複雑な思いを持ったり。
(そこまで他人に尽くさなくてもいいのに)
幼い私は何度母をそういう目で見て、気を焼いたかわかりません。
母は家でもとにかくよく動いていました。まともに座ってご飯を食べている姿を見たことがありません。
寝る時も何かしながら寝落ちしていたので、いつの間にやら私が電気を消す係に。
母は本当にすごい人だと思っています。
ただ子供としては寂しいものがありました。「子供のために」頑張ってくれているのはわかっていましたが、母はいつも不在でしたので。。
「与える人」は愛される
人に与えていれば当然のこととも言えますが、母を好いている人は多いです。
職場では「〇〇お母さん」と呼ばれていました。
定年を迎えた今でも以前の職場の若い職員に連れられ、山登りしたり、食事に行ったり、旅行に行ったりしています。
友人も多い母は、引く手数多です。自宅にもしょっちゅう友人が遊びに来て、深夜までお茶会をしていたり。
初めて母に会う人は、母の何かを感じるのでしょうか?「今まで誰にも言ったことがないのに」という話を、母の前だとポロッと話し出してしまう人が後を経ちません(何かオーラでもあるのかも?)。
また母を「メンター」として、目標にしている人までいたり。
母も「与えられた」
与えて、与えて、与えまくった母は運が開かれたようで、今では誰よりも「幸せな人」に私の目に写っています。
長い闘病生活だった父も他界。母はプライベートでも最後まで介護をし尽くし、父に添い遂げました。
そんな母も、今では悠々気ままなおばあちゃんです。
私たち3人の子供も皆独立していますし、「ばば大好き!」な可愛い孫にも恵まれています。
経済的にも、巡り巡って与えたものがそれ以上に返ってきたようで、何不自由なく、二つの家を行ったり来たりしています。
与えれば、与えられる
側からはバカみたいに見えるかもしれませんが、母のように自分を顧みず「与える人」であれば、最終的に自分に「与えたる」が返ってくるんだと、私は確信しています。
なかなかできることではありませんが(汗)
そして返ってくる時は自分の力以上の、人智を超えたものが返ってくるのかも。
「与える人」の実話!どん底母が人に与え尽くして得た未来とは?、いかがでしたか?
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました!