私たちは自分のコンプレックスを、無意識に解消しようとしているんじゃないか?、なんてふと思いにふけってみました。
そもそも子育ての悩みを深く掘り下げて行くと、「夫婦間の悩み」だったりするものです。
以前コミュニケーションのワークに参加した際、参加者がそれぞれの子育てにおいての悩みを打ち明けました。
その悩みは全て、夫婦間の問題に起因するものだったのです。
「夫婦」とは。それをまず真面目に語ろうと思います。
夫婦はどうやって夫婦になる?
夫婦はどうやって夫婦になるか?一般的な話で言ったら、何らかの縁により出会って、付き合い、お互いの合意で夫婦になりますよね。
じゃあ、その相手はどうやって選ぶかですが、、
意識的にというより、無意識で選んでいると思うんです。
その「無意識」ですが、「恋だから、理由なんてない」と言われれば、そうかも知れません。
恋=無意識
恋するきっかけは、例えば相手の
見た目
匂い
声
または、
突然背筋がビビッと来た
見た目がタイプ
性格が好き
など、それぞれですね。
お互いが惹かれ合えばその後お付き合いし、上手くいけば結婚ですね。
夫婦は補う相手?
夫婦を見てみると、「この人だから、この相手なのだな」という夫婦をよく目にします。
というか、そういう夫婦しかいない(汗)
「自分の足りない部分を相手が補う」「二人揃って丁度いい」みたいな。
よくできているように思います。
私の仮説
そもそも恋愛の時点で「そういう人」を無意識に探しているのではないか?という仮説を立ててみました。
この「そういう人」とは、「自分を補う人」「自分の持っていないものを持っている人」ですが、つまりそれは「自分のコンプレックスを補う人」ではないかという仮説です!
コンプレックスとは?
「劣等感」の略として使われ、自分が他より劣っているという感情と結びつく複合的な心的表象を指すことが多い。
引用: weblio辞書 コンプレックス 英語:complex
例えばこんなふうに。
自分の顔にコンプレックスを持っている人
→相手には顔の良さを求める
自分の背丈にコンプレックスを持っている人
→相手には背の高さを求める
自分の学歴にコンプレックスを持っている人
→相手には高学歴を求める
自分の生い立ちにコンプレックスを持っている人
→相手には育ちのよさを求める
自分の自信のなさにコンプレックスを持っている人
→相手には自信がある様子を求める
自分が貧乏なコンプレックスを持っている人
→相手にはお金持ちであることを求める
わかりやすい例ですね。
皆コンプレックスを解消したい?
自分では無意識に自分と相反する人と一緒になることで、そこから自分のコンプレックスを解消したいと思うものではないか?
自分のコンプレックスを恋愛相手・結婚相手によって解消したいのではないか?
そんなふうに思う訳です。
コンプレックスは他人が感じるものではなく、自分自身で感じることだから、本人にしか分かり得ないことですよね。
夫婦を見るとその補っている様子から、実は無意識にこのコンプレックスを解消したいのではないか、と見えてしまうのです。
子供に習い事をさせるのも、
自分より弱い相手を標的にしていじめるのも、
自分より下の立場の人にあたるのも、
「全て自分のコンプレックスを晴らすため」
という話を以前聞きました。実業家の斎藤一人さんの話です。
私のコンプレックスと夫
さていろいろ言った私自身のコンプレックスですが、、
沢山ありますよ〜(笑)夫一人では到底、晴らすことができません。子供にも参入してもらわなければ。。というのは冗談で。
わが夫はの精神が平です。精神が安定しているのです。
私が結婚相手に求めていたもの。それは第一に精神の安定でした。第二は収入の安定。好きという気持ちは大前提ですが、結婚は好きだけでするものではないですよね。
ちょっと幼少期からの闇を抱えた私ですが、夫はそんな私を安定してみてくれています。スルーしているようにも見えますが(笑)
私がそのコンプレックスを解消するのに付き合ってくれている、ように思えるのです。
以前私が一大決心をする時に夫に相談した時のことです。
夫は、
「なんでもカカ(私の呼び名)の思うようにしていいよ。もし失敗しても咎めたりしないから。」
と言いました。私はこの言葉を、親から欲しかったのかもしれません。
親からは失敗すると、「だから〜だって言ったでしょ」とモラハラめいた話が始まることが常だったように思います。
今そのことで恨みはありませんが、度重なり「ダメだ」の抑圧を与えたれた記憶はあります。母は厳しい人でしたので。
また、私は父との関わりはあまりありませんでした。
夫はとてもおおらかに育った人。「おおらかに」が家訓ともいえる家です。
本当におおらかで、私とは真逆なんですよね。
私はというと、常に何かに追われている感じで(周りから言われる)、せっかちです。
そして言葉と行動が伴わない人が許せない部分がある。
おおらかではないですね(汗)
そんな相反する私たちは、足して二で割ってとてもバランスの取れた人になるような感じがするのです。
夫はのんびり屋さんなので。のんびり屋さんの夫が、せっかちな私のコンプレックス解消に付き合ってくれている、みたいな。
夫本人が意識してのことではなく、そうせざる追えないというのもありますが(爆)、そういう私を受け入れられるだけの器があるのでしょう。
これはわが家の場合ですが、きっと他の夫婦もお互いを通して自分のないものを補足してもらって、「コンプレックスの解消をしている」、もしくは「コンプレックスを晴らそうとしている」のではないかと感じます。
自分の足りない部分を相手が持っていて、相手の足りないものを自分が持っている、という「持ちつ持たれつ」。
そうやって釣り合わなければ、カップルとして成立しないのかもしれない。
もちろん、パートナーと一緒にいるのはコンプレックス解消が理由ばかりじゃないですよ?
けど、そんなふうにカップルを見ると面白いものです。
他人で晴らさない
ここからが大切?な話となりますが、「コンプレックスは他人によって晴らしてはいけない」ことについて触れていきます。
相手によってコンプレックスを解消した気になるのではなく、解決しないといけないことに自分で向き合うことが大切かと思います。
コンプレックスと思っている自分の「短所」って、実は裏返せば「長所」になるんですよね。
つまり、そんな「自分自身を認め、好きになってあげること」が、それぞれの人生の最終目標なのではないか??
なんていうのがオチです。取り留めなく語ってみました。
今回はこの辺で!
【コンプレックス解消のため?】恋愛相手に求めるものの心理とは、いかがでしたか?
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました!