【子供に期待しない生き方】子供の足を見て気づいたこと

 

こんにちは!シロイヌです

 

今回は、【子供に期待しない生き方】をテーマに書いてみたいと思います!

 

主な内容はこれら3つ。

 

  • どうして親は子供に期待するのか?
  • 子供の足を見て気づいたこと
  • どうしたら子供に期待せずにいられるか

 

ではでは早速。

目次

親は子供に期待するもの?

 

親であれば少なからず子供に、「こうあってほしい」願望はあると思うんです。

 

子供に何も期待していない親の方がむしろ珍しいのではないでしょうか?

 

では親が持つ子供への期待とは、どんなものがあるかあげてみましょう。一般的なことです。

 

  • 勉強ができて欲しい
  • スポーツ万能であって欲しい
  • 容姿端麗であって欲しい
  • 健康でいて欲しい
  • 人気者であって欲しい
  • 誰とでも仲良くして欲しい
  • 礼儀正しくいて欲しい
  • 人の役に立って欲しい
  • 積極的でいて欲しい
  • 人に親切でいて欲しい

 

思いつくままに書いてみましたが、キリがありませんね(汗)

 

いずれにしても親が子供に願うものは、「この世的な価値観」に見えます。

親が子供に期待するのはなぜ?

本来子供は特別何かできなくたとしても、親から無条件で愛されていいもの。

 

何もできなくても、「そのままのあなたでいいんだよ」なんて大きな心で親に受け止めてもらえたら、子供はどんなに幸せでしょう。

 

でも理想は理想。

 

たとえ親がそのままの子供を愛したかったとしても、社会で生きていく中で、誰が決めたのかわからないような価値観を押し付けられることはある。

 

そもそも競争社会!小学校にも上がれば(人によっては上がる前から)、自分が競いたくなくたとしても競わされる。

 

そこから親も「人よりできて欲しい」など、こうであって欲しい期待を子供に持つのかもしれません。

 

本当の自分ではなないものを偽らなきゃいけなかったりなど、心が不自由になってしまうことは誰しもにあるように思いますし、

 

もしかしたら日本人は特に、そういった偽りの自分を抱えている人は多いかもしれない。

 

そんなものが溜まりに溜まると、病気にもなる場合だってある。心と体は一つですからね(汗)

 

身近でもそういう人は結構います。成人してから病気になる人が。

私の経験や気づき

「子供にはあまり期待していない」というのも寂しい印象ですが、親からの過度の期待、そしてそれを受け取る子供の過度のプレッシャーは、あまりいい結果をもたらさないかもしれない。

 

とは言え、期待してしまうのが親ですよね(汗)

 

私個人の話をすると、結構子供に期待していました。

 

むしろ「パーフェクトベビー願望があったかもしれない。

 

自分の育った環境の影響は強いと思いますが、「こうあるべき」という親に刷り込まれた価値観はどちらかというと強い方に思います。

 

そんな私はある時、子供への期待は裏を返せば「自分のコンプレックスを晴らすため」だということに気づいたのです。

 

本当は自分が「こうありたい」けど結局できなかった。

 

だからそこで持ったコンプレックスを、わが子で晴らそうという訳です。

 

でもこれは自分自身が成長過程でもった「この世的価値観」を、今度は自分の子供に押し付けることになってしまう。

 

人に好かれなきゃいけない

好かれる為にはこうでいなきゃならない

 

そんな価値観です。

 

私はコンプレックスが結構強いので、子供への期待ももしかしたら強いかもしれない、なんて(汗)

子供は親とそっくり

最近子供の足の形を見た時に、ふと感じたことがありました。

 

足の形が私に激似だったんです。

 

小学校に入るまでは気づかなかったのですが、「遺伝子ってすごい!」と感じることは結構あります。

 

幼少期は目立たなくても、小学校に入るとだんだん、だんだん、見えてくるんですよ!

 

「え!?ここも私そっくりじゃない?」って。

 

どの親子を見ても、親子とわかる風貌だと思いませんか?

 

お腹の赤ちゃんって、血を自分自身で一滴も作らないそうです。全て!母親からもらうのだそう。

 

分身みたいなもの

 

実は私は自分の足の歪みのせいで、その見た目の悪さだけでなく、引きつったり、むくんだり、疲れやすかったりというのを年を重ねた今感じているのですが、

 

子供にはそういった思いをさせないように、足を歪ませるような座り方を避けるため、日常生活の中でちゃぶ台に座る際は座椅子を使うようにさせていました。

 

その配慮にも関わらず、足の形が私に似てきているんです。足首とか本当にそっくり。驚きました。

 

遺伝子レベルってすごいです。。

 

また子供の鉛筆の持ち方なんですが、長男の鉛筆の持ち方が筆を持つような形なんです。人差し指、中指を一緒に鉛筆に添える形。

 

それが気になって度々長男に注意していたんですが、遊びに来た母がそれを見て、

 

あんたが小さい頃初めて鉛筆持った時と同じ持ち方してる

 

と言うではありませんか!

 

その時私は「自分と同じなんだ」と感じ、ふと「自分ができないことを子供ができないからって、責めるのはやめよう。努力させるよう仕向けるのはやめよう。」と心を改めたのです。

 

そして今まで子供の為と思いながらも、自分のコンプレックスを晴らすため、自分の欲望のためにいろいろなことを子供に強制していたように思い返しました。

 

でも、ただそう改心してもダメなんですよね。

 

日々の生活でまた「子供に期待する」に戻るんです!(汗)

子供に期待しない生き方って?

私が最近、子供に過度の期待をしないようになった決定的な理由の一つは、

 

自分の夢を自分で叶えることにしたことです。

 

つまり、なりたい自分を子供に託すのではなく、自分が自分の夢を叶えると決めたんです。

 

すると子供はそこに関係ないので、お互いが自分の「船」に乗ることができる。

 

人生という名の「船」!

 

子供に期待するのはよそうと思っても期待してしまうもの。

 

そんな時、

 

  • 自分の子供への期待はなんでだろう?
  • 私は自分の人生に何を望んでいるの?

 

そんなことを思い返せば、答えは見つかってくるのではないでしょうか?

 

それが「子供に期待しない生き方」につながるように思います。

 


 

【子供に期待しない生き方】子供の足を見て気づいたこと、いかがでしたか?

最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました!

 

ここからは追記↓

追記:過剰期待が招く悲劇!?

先日こんな発見がありました。親の過剰期待が招く恐ろしい(!?)結果の話です。

 

親は子供を愛していると思いながらも、一方的な都合や願望で子供に過剰期待することがあります。

 

どの親も、多少当てはまるのではないでしょうか?

 

ただこの度が行き過ぎるとどうなるのか?児童精神医学の観点から、興味深いことが書かれていました。

 

子どもにたいする過剰期待というのは、子どもの将来をより豊かなものにしてあげたいという、相手に対する思いやりや愛情のつもりでいるかもしれません。しかし、これはとんでもなくて、子供が感じている心理的意味は、拒否されていることなのです。なぜかというと、現状のあなたには満足していないだということを、別の表現を使っていっているだけなのですから。

引用:「子どもへのまなざし」佐々木正美 2008.12.25 福音館書店

 

そしてその結果子供がどうなるかというと、指示や束縛の中でしか行動がとれなくなってしまい、自分が本当は何をしたかを感じることができなくなってしまうのだそう。

 

つまり、自発性とか主体性が育たなくなってしまうわけです。

 

これ、なんだか子どもだけでなく、多くの大人にも見られることかもしれないと思うのは私だけでしょうか…?

 

そして、自発性や主体性を失った子どもの典型的な状態に、ミューティズム、かん黙(もく)があるのだとか。

 

かん黙とは?

言語や言葉の機能は十分もっているのにも関わらず、人前で安心して自分の気持ちや考えを、相手に話して伝えることができなくなっていること。

 

例えば、、

 

「大きくなったら何になりたい?」

「どんなテレビ番組が好き?」

 

など、自分で判断して答えなくてはならない問題や質問に、黙りこくってしまう状態です。

 

親の喜びのために期待にこたえようとする子どもは、自信を失い、自宅や保健室に引きこもったりという結果を招くことも。

 

不登校の子供たちの中にも、これに通じる問題を抱えている子が多いそう。

 

また本の著者は、

 

親が自分の思うように子供を育てようとしすぎたり、支持した通りにうまくいかないことでいらたって、さらに厳しくする=虐待であり、

 

度がすぎた早期教育も同じと述べています。

 

細かく出せば、子供の嫌がる洋服を着せたり、嫌がる靴を履かせたり、無理矢理嫌がる髪型にさせたりするのも親の自己愛の投影であり、同じことだそうです。

 

なかなか考えさせられる話ですよね。

 

こちらの本を読みました↓↓↓

 

 

目次