こんにちは!
シュタイナー教育で育てた後悔があるとしたら…?
わが家は母親の私がシュタイナー好きなことで、幼稚園でも家でもできるだけシュタイナー教育を取り入れてきました。
シュタイナー教育自体に問題は全く感じていませんが、シュタイナーの子育てに熱心になりすぎて、逆に視野が狭かったかなぁと後悔したことはあります。
子どもが小学校に上がって気づいたことなんですけどね。
シュタイナー教育の後悔とは?
私にシュタイナー教育をしたことでの後悔があったとしたら、小学生に上がるまでは一切の学習をさせないと頑なだったことかもしれない。
「学習」とは学校で習うような勉強のことです。ひらがなとか数字とか。
シュタイナー教育では7歳までの子どもに学習をさせません。
私はシュタイナー教育を家でも行なっていましたし、どちらかというと厳格にしたいタイプだったかもしれない。
ですのでわが子も小学校に上がるまでひらがななど、文字がわかりませんでした。
数字の1〜10までも教えなかったし、鉛筆すら持たせなかった。
ちゃんと意味があってのことなのですが、、
後悔ポイントは、実はここ。
文字の読み書きをさせなかったことや、鉛筆をあえて持たせなかったことは、今でも後悔はありません。
ですが、そこまで強固に学習を遠ざけなくても良かったのでは?という後悔があります。
詳しくは後ほど書きます。
なぜシュタイナー教育?
私がなぜ子育てにシュタイナー教育を取り入れたかというと、単純にシュタイナーの哲学が好きだったからです。
とても優しくて。
そもそもこの教育は当時の時代背景から子どもを守るために考えられたもの。
なのでいいものには違いないと思うんですよね。
一般的には「シュタイナー教育」と聞けば、テレビを見せないとか、キャラクターものは持たせないとか、はたまた食べ物はオーガニックとか、「なんだかルールが多くて大変そう」という印象でしょうか?
現代の生活とはかけ離れた思想ですものね。
それに興味はあってもなんとなく敷居が高く感じたり、内容がよくわからないことで「変な教育」なんて不気味に感じる人もいるかもしれない。
その辺は個々の感性なのだと思います。好きな人は好きだし、嫌いな人は嫌い。
感じ方は人それぞれですね。
私も初めシュタイナーの思想を聞いた時は、
と興味はなかったんですが、
個人的な教育方針として、小さい頃は外遊びをたくさんして、メディアよりも素朴で温かみのある物に触れ、食育も大切にして、、、
というのが理想でした。
そこでシュタイナー教育が、合致した訳です。
実際子どもはシュタイナー教育を取り入れた幼稚園に通わせましたが、とっても満足しています。
幼稚園は母親の私にとっても、「第二の学び舎」だったかもしれません。
多くのことを教わりました。
小学校は公立小学校へ
子どもが小学校に上がった今でも、私はシュタイナー教育が好き。少しでもシュタイナーの思想に触れていたい気持ちです。
幼稚園在籍当時は、卒園後の進路を「小学校もこのままシュタイナーで」と考えたことも。
しかし家庭の事情などもろもろを考え、子どもは一般的な公立小学校に行くことになりました。
その選択に後悔はないのですが、気になることが一つだけ。
それは、最近取り入れたれた「ギガ・スクール」です。
必要に迫られている(?)などの理由があっても、個人的にはメディアに触れさせるのはもっと年齢が上がってからにしてほしかった。。
シュタイナー好きの人ならあるあるじゃないかな?
とはいえ、何もシュタイナー好きのお母さんばかりが、子どもに「早くから電子端末に触れさせること」を心配しているワケではないようですね。
視力等、さまざまな面で心配をされている親御さんがいるとの話を、学校の先生から聞きました。
ちょっと話がそれてしまいますが、語ってもいいですか?
アップル創業者であるスティーブ・ジョブズやマイクロソフトのビル・ゲイツは、14歳になるまでわが子にスマホを与えなかったこともご存知でしょうか?
その後子供たちがITと付き合うようになっても厳しいルールを決めていたのだとか。
ITを作った張本人たちが家族をその影響から守っているというのは、危険性を知ってのこととも捉えられます。
彼らの子どもたちはメディアは触れずに、編み物や料理、本を読んだり、森を歩くことを大切にしていたそう。
学習は小学校からで!けれども…?
話を戻しますが、わが子が通ったシュタイナー教育の幼稚園では、「シュタイナーが好きでこの園を選んだ」というお母さんが多かったです。
けれども、「学習は7歳以上で」と考えている人は少なかった。
年中にもなれば文字を書く子を見ましたし、幼稚園を卒園する頃にはほとんどの子が文字の読み書きができていたようでした。
私はできる限りシュタイナーの思想に添いたかったので、わが子にはひらがなすらも教えませんでしたが、それはむしろ珍しいタイプだったようで、、
幼稚園の先生からはその志(?)を後押ししてもらいました。
子育て経験のある先生方何人かからは、こんなエピソードを聞かせてもらったことも。
私の子どもも文字の読み聞は小学校に上がってから、学校で一から教えてもらいました。子どもも習うことが新鮮だったようで、楽しく授業を聞いていたようです。帰宅するなり、「お母さん、今日はこんなの習ったよー!」と学校で学んだことを喜んで話していたんですよ。
経験者のそのような話に勇気をもらい、「わが家もこれでいい」と確信した私。
子どもは小学校での初めての学習に興味を持ってくれるだろう、そう期待していました。
が!実際に学校に通ってみると、わが子は授業に興味はなかった…。
というわけで、、
子育てに「こうすればこうなる」なんて法則はありません!
みんな興味の対象が違えば、学習意欲のタイミングも違って当たり前。
わが子に合う手段はもっと別にあったかもしれない、なんてことを今になって思います。
何も早期教育するとかではなく、ですね。
遊びの中にあっても良かったかも?
遊びの中に学習の始まりがあっても良かったんじゃないかと感じています。
早期教育とは違います。早期教育はね、本当に意味ないですよ(汗)
かえって失うものがあるとお母さんたちは知っていた方がいい。
学習面ではないですが、私も子どもの成長の段階を考えずに「早期教育的なこと」をしてしまったことで大きな後悔があるので、よくわかるんです〜(涙)
ただわが家の場合、遊びの中で「学び」に結びつくものを少し取り入れても良かったんじゃないかと思うんです。
例えば小学校で習う10進法の前に、数の概念が身に付くような積み木を与えて遊ばせても良かっただろうし、ボードゲームなどで数の遊びをしても良かったかもしれない。
ひらがなの読み書きをあえて教えないとしても、子どもが気になって聞いてきたのなら、ひらがなの「読み」くらいは教えてあげても良かったかもしれない。
というのも、「世の中の流れはそうではない」から。
シュタイナー教育のままゆっくり・ゆっくり教えてあげたいのはやまやまですが、、
ご存知のとおり小学校に上がれば、足並み揃えて一斉学習が始まります。
その授業のスピードについていけずに大変なのは、子どもかもしれない。
わが子は平仮名はすんなり覚え、授業に支障もありませんでしたが、算数は少し戸惑っていた時期があるので余計にそう思うのかもしれないですね。
何も計算を教えるなんて言ってません。
でも遊びの中で数字を見たり、聞いたりしても良かったんじゃないかって。
そんな後悔です。
なんでもそうですが、「初め」は肝心。
それなら初めての学習を学習とせずに、おうちで遊びから楽しく入ることで、小学校に上がってからの学習にもっとすんなり入れたのではないか?と感じました。
むしろシュタイナー教育が全てと思っていると、型にはまり過ぎてチャンスを逃すこともあるんじゃないかと。
シュタイナーの哲学を子育てに忠実に再現することが全てではないです。
大切なのは、シュタイナーの哲学を学んで「どう取り入れようか」と自分で考えることだと思うんです。
まとめ
ここまで「シュタイナー教育の後悔があるとしたら?」という内容で書かせてもらいました。
ただ書いておいてなんなんですが、これを話す私の学びはまだ浅く、シュタイナー教育の基本の「き」ほども知らないのが正直なところ(汗)
ですので後悔というのは、もっと学んで、もっと時間が経ってみなければ、わからないものかもしれません。
【シュタイナー教育】こだわり過ぎて後悔した学習面のあることとは?、いかがでしたか?
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました!
コメント
コメント一覧 (2件)
シュタイナー教育は理想でもありますが、実際そう上手くは行きません(泣)。電車で大人しくしてくれないときにはスマホ使っちゃってます。本当はやめた方がいいのも分かっているけど、そうしないと叫んだり騒いだり、周りの迷惑になってしまう。自分の故郷のような田舎なら、電車を使ったり人の多いところにいくことはほとんどないので、シュタイナー教育に近いものは出来たのかなとも思いますが、都会は難しいですね。いろんな人がいるし。
こだわって徹底的にやるのは良いことなんだろうけど、子供が興味を持った学びを妨げてはいけないというのはとても共感できました。
ままさん、コメントありがとうございます!
それぞれの置かれている環境もありますし、その中で不可能なことがあって当然ですね。
私は地方ですので、逆に都会の選択肢が多い環境に憧れたりもしますが、、、交通手段においてもご苦労があるようで、なんともお疲れ様でございます。周りのことを考えてしてしている行動は、素晴らしいです。
これは私の感性ですが、「これがシュタイナーだ」という決まりがある訳ではなく、シュタイナーの思想はあくまで理想であって、できなかったとしても、そこに目指すことが大切ではないかと思うんです。
そんな私は「シュタイナー」を目指しすぎて、他のものが見えていなかったように思います(汗)
片方を見ていると、もう片方が見れないみたいな状況ですね。広く物事を見るのが課題です!